ぶっちゃけここんとこずっとローマが主役みたいなもんじゃね?
それは痛い言葉だな…
ただキャラ立ちした主役が居るからこそ脇役も光るのだよ
それに視点を変えれば私たちも一気に主役になる
レールガン
スピンオフのほうが本編より人気出ることもあるしな
それはそうとここまでのローマ指導者がCiv4におらんのは何故だ?
既にローマは地中海の覇権をほぼ握ってるわけだが
蛮族らしからぬいい質問だ
とりあえず古代ローマ史を詳細に紐解けば名を残す人物は多い
大スキピオもそうだしコメント欄に書いた大カトーもその一人だ
いきなり割り込んでくるとは…
ハッ、どちらが蛮族だか
まぁそういきり立つな
今回の主役らしいから大目に見てやろう
だが、一人これはという指導者を挙げろと言われると難しい
理由の一つに、この時期ローマが採用していた共和政という政体がある
共和政と言ってもピンと来ないとは思うが…
うむさっぱり分からん…トクガワは分かるか?
(そういえば本編なんて名前だっけ…イン…)
まずローマでは、市民集会が各種の役職選任等のために開催されていた
例えば執政官…つまり最高責任者は毎年ごとに市民集会により選任される
執政官は基本二人、かつ貴族と平民から一人ずつ選ぶのが慣例だ
指導者が二人、しかも一年交代か
更に上の独裁官という役職もあるが、常職ではない上に任期はたったの半年だ
私と戦った時は頻繁に独裁官が置かれていたな
ローマにすれば、敵の侵入を許すという非常事態だったわけだ
だがそういった事態が解除され次第、通常の執政官二名体制に戻る
独裁官というのはその功罪を考慮に入れた巧みな制度だな
彼らの王政や独裁政嫌いは、こういった制度を始め書物等にも見てとれる
あくまで非常事態にのみ置き、即応性を高めるための措置なわけだ
めんどくせぇことしてんだな
王様ドーンと置きゃいいのによ
蛮族らしい言葉だが、王様一人だけでは政治は出来んよ
ローマの基本は元老院というエリート・有力者集団からなる寡頭政治だ
元老院というのは…現代で言う国会兼有識者会議のようなものかな
資格は年齢及び軍務経験、さらに執政官等の役職経験があること
戦争の際には現職執政官の下で部隊指揮にもあたる
ちなみに彼らの間ではノブレス・オブリージュの精神がかなり発達していた
私たちローマ人が水道や道路の整備に執念を燃やした話は有名だな
全ての道はローマに通ず…貴族は私財でそれらを作り、自分の名を冠した
アッピア街道を始め、2000年の時を越えて現代にも彼らの名前が残っている
(インフラストラクチャー?…いやもっと短い名前…)
そう言えばローマの元老院にまつわる面白いエピソードがある
私をザマで破った大スキピオは、救国の英雄として絶大な人気を得た
それを背景に一時は元老院内でも独裁的な権力を誇るんだが…
彼はそれを危険視した他の議員たちによって失脚させられてしまうんだ
かといって追い落とした側が上り詰めて独裁を敷いたわけでもない
独裁に対するローマ人の拒否反応が見てとれるエピソードだな
敵ながら面白ぇ奴らだな
ただ案外そのへんがローマの強さの秘訣だったのかもな
思えばこれまで数々の外敵に対して粘り強く耐え抜いたローマだった
私に対して取った持久戦術など特にそれが現れている
確かにこういった体制があればこそ取れた戦略なのかもしれんな
ちなみにローマ人は我らのように民主政を目指したわけではないぞ
一方でアテナイの直接民主政を衆愚政治の典型だと嘲笑しているのだ
いやはやこれは私にとっては耳の痛い話ではあるのだがな
修辞学に彩られた演説により右に左になびく無知蒙昧な市民…
初の民主主義を実践したアテナイが衆愚政治に陥ったという皮肉な話だな
いつぞや話題に出た後世の歴史家も、さぞや肩を落とすことだろう
アテナイ市民はペリク一人に責任押しつけたりはしてないよ
そういう意味では市民も案外捨てたもんじゃないさね
このあたり民主政と独裁政の親和性をも感じる話だな
例えばかの総統閣下は、極めて民主的な方法でその座に就いている
(イングロリアス…いや違うな…イン…なんだっけ…)
っとこれ以上は現代に生きる読者諸君にも耳の痛い話だろう
そろそろ切り上げて彼にスポットライトを当てようか
改めまして私がガイウス・ユリウス・カエサル(BC102~44)だ
執政官を始めとする各職を歴任、もちろん元老院議員の資格も取得
最終的にはローマの終身独裁官を務めた
終身ってお前…さっき任期は半年っつって
これは私が勝手に作って就任した役職ではないぞ
ローマはBC146にカルタゴを滅ぼして地中海の覇権を確立する
だがその後、その領土と共に内部の亀裂も広がっていったのだ
重い兵役負担…新たな領土と奴隷の獲得…それに伴う貧富の差…
元々共和政ローマでは貴族と平民が絶妙なバランスを取っていた
執政官を選ぶ上で両方から一人ずつ選出するという慣例などはその最たるもの
簡単に言うと、市民を増やし過ぎたせいでこのバランスが崩れたんだな
内乱の中、ある門閥貴族がローマ史上初の終身独裁官に就任する
彼は強権を元に、平民派貴族の粛清や元老院の権力を強化する改革を行った
それらを成し遂げた後、あっさりこの職を辞してしまうんだ
彼の名はルキウス・コルネリウス・スッラ
共和政ローマの理念を体現したような人物だと言えるな
だが多少の弾圧や改革をしたところで崩れ始めたバランスは戻らない
時代や民衆…すなわちローマ自身が新しい政体を求めていたのだよ
その流れを押しとどめるのは不可能だ
(インポッシブル…これも違うな…喉まで出かかってるんだけど…)
カエサルはこのローマ内乱の時期に平民派の貴族として台頭した
そして様々な改革を行いながら政敵や元老院の力を弱体化させていったんだ
最後には、皮肉な話だがスッラの前例に則って終身独裁官に就任するんだ
貴族だけど平民派ってことは…大衆受けする感じだったんだな
派手な借金を重ねて行った公共祭祀の数々…さらに軍事面の功績…
彼は当時民衆の絶大なる支持を得ていた
特に彼の一番大きな業績はガリア征服を成し遂げたことだ
ぐむむ…
アッリアの戦いから数えて300年以上もの間、ガリアはローマの脅威で在り続けた
その間、歴代の執政官が誰一人として為し得なかったことだ
ガリア征服を果たした彼の人気は推して知るべしと言ったところか
私自身が残したガリア戦記という手記が残っている
ただの行軍記ではなくガリア人の風習などにも言及した幅広い内容のものだ
ちなみにラテン散文の傑作として後世でも読み継がれているぞ
さらにはゲルマニアやブリタニア…現在のドイツ一帯やイギリス南部だな
かのアレクサンドロスに繋がるプトレマイオス朝エジプトもだ
この男はヨーロッパ中をまるで自分の庭のように闊歩していく
ちなみにこの時にクレオパトラといわゆる”親密な”間柄を築いている
他にも愛人多数、女たらしで有名な男さ
調子乗りすぎだよこのハゲ!
(インモラル…いやこれは無い無い…)
さらに私は内乱を鎮圧しつつ北アフリカ遠征で一帯を属州に据えた
ここでようやくローマは地中海沿岸全てを支配下に治めるんだ
ローマ人は地中海の事を我が内海と呼ぶに至る
これらの軍事的功績を持ってすれば市民が熱狂するのも分かるだろう
現代で言うと「イチローさんぱねぇっす」や「本田△」とかだな
かといって「ヤワラちゃん最高、絶対首相だろ」とはならなかったが
先生、どうか今回はそのへんで…
蛮族呼ばわりされるワタクシですら危険な事が分かります
最後にアフリカ遠征後の話を少しだけして今回の締めとしよう
クレオパトラとその子を連れた私はローマに戻る
そしてBC46に壮麗な凱旋式を取り行った
古代ローマにおいて凱旋式というものは特別なものだ
これは元老院の裁可無くしては取り行う事が出来ない
大スキピオ等、限られた偉大な司令官にのみ許された栄誉だ
この時、私はローマ市民から熱狂的な歓呼をもって迎えられたのだ
「カエサル!我らがカエサル!」
「インペラトル!(偉大なる司令官)インペラトル・カエサル!」と
ん?今インペラトルっつった?
「とある魔術のインペラトル」…あるぇー…これもなんか違う
…もうインなんとかでいいや
第十六話「What's up,people?!」
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