正解は[E]のペルシャだ
きたねーな…ひっかけ問題?
ていうかペルシャって選択肢になかったし
(だって全部言う前に勝手に答えるんじゃもん…)
そして私がアケメネス朝ペルシャの創始者キュロス2世(BC576~529)
大キュロスやキュロス大王と言えば私の事だ
まずいきなりペルシャとか言われてもわかんねーよ
ペルシャは今のイランの一地方だな
現在のイランでもこの大キュロスを建国の父と見る向きは多い
ちょっと待てお前さっきイランはメディアって言ってなかったか?
そのメディアの属国としてペルシャがあったと思ってもらえればいい
(大人って汚い)
反乱を起こしてメディアを滅ぼしたペルシャはBC525にオリエントを統一する
新バビロニア・リディア・エジプト全てだ
リディアたんを征服するとかwwwありえんwww
(ネタ引っ張りすぎじゃよ…)
どうでもいいけどペルシャ成立から統一まであっという間だな
少し前これらに跨ってアッシリアが存在したことも関係している
そうでなければとてもこんな短期間では成し得なかっただろう
(珍しく謙虚な態度の指導者だな…だがそれが逆に気に入らない)
新バビロニア征服後のエピソードは旧約聖書にも描かれておるな
強制的にバビロンに移住させられたユダヤ人のことは前回話したじゃろう
バビロン補習か(上手い事言ったつもり)
大キュロスはこのユダヤ人たちの帰郷を認めたんじゃ
ユダヤ人たちの一部はエルサレムに戻って神殿を再建した
今後彼らがユダヤ教を体系化していくことになる
一部?
全員じゃねーの?
この時代の捕虜と言うのは主に職人や王族だ
奴隷労働力として活用したり反乱を防止するために連れ去る
当時のオリエント世界ではごく一般的なものだ
牢屋にずっと繋がれてたわけじゃないのな
当たり前じゃ
そんなことしても何の得にもならん
そもそも誰がそのための金を払うんじゃ?
生活は自然と地に根を下ろしたものになるし混血も進む
付け加えるならこの時点でバビロン捕囚より既に半世紀がたっている
正直大半のユダヤ人にとっては、話にだけ聞く見たことも無い故郷だったろうな
ともあれ私はこの一件でユダヤ教ではメシア(救世主)などと呼ばれている
私自身はユダヤ教徒ではないのだが、旧約聖書には私に関する多くの記述がある
宗教や被征服民に対する寛容の態度が窺えるのう
大キュロスは後に理想の君主として賞されることも多いんじゃ
後にギリシャの哲学者が私の伝記を記している
リディアを支配したペルシャにとってはエーゲ海を挟んだ隣国だ
後にアケメネス朝ペルシャは何度かギリシャに侵攻しておる
ダレイオス1世に端を発するペルシア戦争じゃな
隣接した敵国創始者の伝記があるというのはちょっとすごいの
はいはい偉い偉い
短期間でオリエント諸国を統一する征服者としての軍事的手腕!
それらに対する寛容さに溢れた統治者としての政治的手腕!
いやまさに大キュロスと呼ばれるに相応しい活躍ですな~
第六話「DAIOU! ふたりはペルシア」
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