Last-modified: 2012-04-29 18:10:50
蛮族の一覧表です。(ちょこちょこと解脱を付け加えていく予定です)
- ペリシテ
旧約聖書に登場するカナンの先住民。巨人ゴリアテなどがペリシテ人として有名。五つの都市の連合で構成され、イスラエル人と長年にわたって争い続けた。遺跡の研究から、ギリシャのミケーネ文明から発したという説が有力。
- Chanca チャンカ
インカ帝国のごく初期の14~5世紀にクスコの西方にいて帝国を脅かしていた民族。一時はインカ側をかなり追い詰めて当時のインカ皇帝ヴィラコチャやその長男の皇子ウルコンは山岳の要塞に逃げ込んでいるが、後に9代目インカ皇帝となるパチャクチによって打ち負かされた。
- Lupaca ルパカ
12~14世紀頃にチチカカ湖南西にあった王国。インカ帝国と同盟して勢力を拡大するが、最終的にインカに征服される。
- Cherokee チェロキー
北米先住民の一つ。ミシシッピー川流域に居住し、アメリカ開拓者と激しい戦いを繰り広げたが、後に休戦し文明化された。現在はオクラホマ州の居留地を中心に32万人が残る。
- Anasazi アナサジ
北米先住民の一つ。プエブロとも。紀元前1200年頃にアメリカ南西部に出現した。現在も子孫がプエブロ部族として残る。
- Teoihuacan テオティワカン
アステカ帝国以前に紀元3世紀頃からテスココ湖東岸一帯に栄えていた文明。アステカのケツァルコアトルは元々は彼らの神。のちにアステカ族が派生することになるチチメク族の侵入や宗教的な内紛によって衰退し7世紀に滅亡したが、その優れた土木技術や農耕技術、都市計画はトルテカやアステカに引き継がれ存続、発展した。
- Olmec オルメカ
テオティワカンと同じくアステカ帝国以前の紀元前1000年頃からメキシコ湾南岸一帯に栄えていた文明。建物という形で遺跡が現存していることは他の周辺の文明に比べ殆どなくあっても小規模なものが少数だけだが、人面の巨石像に代表される独特の様式の彫像で有名、また中央アメリカにおける宗教観とそれを基軸にした社会体制の基礎を築いたのもこの民族とされる。言語的にはアステカ族が用いたナワトル語よりもマヤの言語と繋がりが深い。
- Zapotec サポテク
アステカとほぼ同時期にアステカのずっと南のテワンテペク周辺にいたテオティワカンの流れを引く民族。チチメク族の侵入にもよく耐え、アシャヤカトル率いるアステカ軍の攻撃にも抵抗しアステカ帝国から独立を保った。
- Chehalis シェヘイリス
北米先住民族の一つ。ワシントン州付近に居住しており、現在は数百人が残っている。
- Chinook チヌーク
北米先住民族の一つ。アメリカ太平洋岸北西部に居住していた。乳児の頭に板を押し付けて、頭を平らにする風習で知られている。
- Apache アパッチ
アリゾナに居住していた南西インディアンの一部族、ズニ語で「敵」を意味する。かなり早い時期から白人から馬を取り入れており、好戦的な性格と機動力で西部開拓者や合衆国陸軍を苦しめた。19世紀に最後の族長ジェロニモが合衆国に逮捕されたことによって合衆国に完全に併合された。
- Illinois イリノイ
北米先住民の一つ。イリニとも。アメリカ中西部に居住していた。17世紀後半に、白人に追い出された東部の先住民部族の侵攻を受けて衰退した。
- Inuit イヌイット
エスキーモとも。北極圏一帯で狩猟、漁業、トナカイの放牧によって生計を立てているモンゴロイドに属する民族。おそらく極寒の環境に最も適用した民族。新大陸のイヌイットは今のアラスカやカナダ西部から東部やグリーンランド、アイスランドなどに拡大して行ったがその際に赤毛のエリックに代表されるヴァイキングの勢力と接触した。ユーラシアにおけるイヌイットの一部は中央アジアまで南下し遊牧民化ないし現地の遊牧民との混血によってメルキッズ、キルギス、カザフなどの民族が派生した。
- Navajo ナバホ
北米先住民の一つ。現在のアメリカ合衆国南西部、アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドに住む。
- Carib カリブ
西インド諸島の原住民。コロンブスが新大陸に達した時に遭遇したアラワク族はこの一部族。新大陸の中で最初に大航海時代のヨーロッパと接触した民族である為、征服や疫病による被害も大きく、他の新大陸の文明よりも文化的、人的に衰退が早く原住民として存続している人口も比較的少ない。
- Saxon ザクセン
サクソンとも。現在のドイツ北部を中心とするゲルマン民族の一つ。「斧の部族」という意味。大移動期にはあまり活動的ではなかったが、一部はアングル人やジュート人とともにイングランドを征服した。東フランク王国に組み込まれてから栄え、北ドイツからバルト沿岸に勢力を伸ばし、神聖ローマ帝国の時代でも重要な諸侯の一つとなった。
- Vandal ヴァンダル
ゲルマン民族の一つ。大移動期に西ローマ領内を荒らし回った末、429年カルタゴを征服してここに王国を築いた。その際ヴァンダル族はカルタゴの遺跡やその他の遺産も熱心に研究しており、カルタゴの復興も目指していたともされる。カルタゴから再三ローマに侵攻し、蛮族の代名詞となる。534年東ローマに征服され滅亡。
- Goth ゴート
ゲルマン民族の一つで、大移動の引き金となった部族。黒海北岸にいたところをフン族に襲われ、一部はフン族に従い(東ゴート)、残りは東ローマ領内に助けを求めた(西ゴート)。西ゴートは東ローマの傭兵となったが、給金支払いでもめ、西ローマに侵入、トゥールーズに王国を立てた。この王国はフランク王国にトゥールーズを奪われたが、イベリア半島を征服しトレドに移って栄えた。一方東ゴートはフン族に従ったあが、フン王アッチラの死後に自立、イタリアを征服しここに王国を立てた。東ゴートは555年、東ローマに征服されて滅亡。西ゴートは711年、イスラム勢力の侵攻を受け滅亡。形容詞形「ゴチック」は元々ルネサンス期の人々が中世の様式を指して野蛮な、あるいは粗野な、重々しい、黒を基調としたという意味で使ったのが起源。
- Angle アングル
ゲルマン民族の一つで、ユトランド半島の付け根あたりにいた。「釣り針」の部族、また一説には「陸の端」の部族という意味。大移動期にザクセン人やジュート人とともにブリタニア南部を征服。以後ブリタニア南部はアングル人の地、すなわちイングランドと呼ばれるようになった。
- Magyar マジャール
ヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民。九世紀末にハンガリー平原に侵入し、盛んにイタリアやドイツに攻撃を仕掛けた。955年のレヒフェルトの戦いでオットー大帝に敗れ、以後はハンガリー平原に定住し、ハンガリー王国を立てる。現在のハンガリー人の祖先で、ハンガリー人は自分たちを「マジャーロルサーク」(マジャール人の国)と呼ぶ。
- Khazak カザーク
コーカサス山脈一帯にいたトルコ系の騎馬民族。トルコ語で「自由人」という意味。ロシアの戦闘集団「コサック」の語源は元々は彼らの呼称から。
- Iberian イベリア
古代にイベリア半島にいた民族。元々はケルト系の民族でカルタゴの傭兵、後のローマの軍団においてかなりの強力な要員として活躍した。後にラテン系の民族やゲルマン民族、サラセン人と同化していき現在のスペインとポルトガルの祖先となった。
- Bulgar ブルガール
ヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民。七世紀頃からドナウ下流域に侵入し、盛んにビザンツ帝国に侵攻した。第一次(918-1018)、第二次(1185-1393)の帝国建国を経て次第にキリスト教化、スラヴ化した。ブルガリアの国名の起源となった民族ではあるが、ブルガリアの住民の大多数は元々からスラヴ系。
- Alemanni アレマン
大移動期のゲルマン民族の一派。由来は全ての人(All-man)だともレマン湖畔(A-leman)だとも言われるが、よくわからない。502年にフランク王国に服属。フランス語でドイツのことをアルマンというが、アレマン人が由来である。
- Burgundian ブルグント(バーガンディア)
大移動期のゲルマン民族の一派。443年にローヌ川流域に侵入し、王国を立てた。このブルグンド王国は534年フランク王国に併合されるが、フランク王国が分裂期に入ると、879/888年に独立。1032年まで独立を保ったが、神聖ローマ帝国に吸収されていった。フランスの地名、および諸侯の1つブルゴーニュの語源でもあり、英語ではバーガンディーと呼ばれる。
- Gepid ゲピテ
ゲルマン民族大移動期にドナウ下流域にいたゲルマン民族。フン族に従ってローマ帝国を略奪した。566年アヴァール人によって滅ぼされた。
- Hun フン
四世紀末にヨーロッパに侵入し、東西ローマ帝国を混乱に陥れたアジア系遊牧民。ゲルマン民族の多くが帝国領内に侵入するきっかけを作ったのみならず、王アッチラ(433-453)のもとゲルマン民族を糾合し帝国に侵攻と略奪を重ねた。453年のアッチラの死とともに求心力が低下し、瓦解・四散した。
- Jute ジュート
ユートとも。ユトランド半島に住んでいたゲルマン民族の一派。ゲルマン民族移動期にはザクセン人、アングル人とともにイングランドに侵入。比較的痕跡は少ないが、アングロ-サクソン七王国で最も古いケント王国を立てた。
- Marcomanni マルコマンニ
ドナウ川上流域。現在のオーストリア、ボヘミア(チェコ)周辺にいたとされるローマ帝国時代のゲルマン民族の一つ。古いゲルマン語で「境界(前線)の人々」の意味という説がある。強力で、度々帝国に侵攻した。スエビ人とも関係が深いという。紀元2世紀、ゴート族などの刺激を受け、クアディ、ヴァンダル、サルマタイといった周辺の民族と同盟関係を結びローマと戦う。この戦いはローマが勝利したが獲るものは少なかった。409年には一部がピレネー山脈を越え、スエビ王国を建てた。
- Seljuk セルジューク
トルコ人の一部族。十一世紀頃にシルダリア地域で興り、瞬く間にペルシアと小アジアを席巻。アッバース朝を滅亡に追い込んだ。またパレスチナに侵攻し、十字軍のきっかけを作った。しかし十二世紀にはアタベクと呼ばれる地方君主の勃興で分裂し、解体した。そのうちのルーム・セルジュークが後のオスマントルコの起源となった。
- Phoenician ポエニ
フェニキア人のこと。紀元前レバノンに興り、地中海に乗りだして各地に植民地を築いた。もっとも主要な植民地がカルタゴであり、カルタゴはローマと三度にわたるポエニ戦争を戦った。BC146年、ローマはカルタゴを征服し、ポエニ人を奴隷とし、その耕地に塩をまいて滅ぼした。
- Estruscan エトルスキ
古代に現在のフィレンツェあたりにいた民族。ローマに文字を伝えたことで知られる。出自不明で、BC三世紀にローマに滅ぼされた。
- Illuryian イリリア
古代にバルカン半島にいた民族。紀元前後にローマに征服され、属州イリリクムとなった。
- Thracian トラキア
古代に黒海西岸の山岳地帯にいた民族。度々ギリシアに侵入し、ペルシア戦争の際もペルシア側についた。色とりどりの長いマントで身をくるんでおり、重装歩兵ばかりのギリシアを騎兵や軽装歩兵による散兵戦、ロムファイアと呼ばれる切れ味のよい刀剣、死を恐れない戦いぶりなどで苦しめた。彼らの子孫にあたるダキア人も同様にしてローマを痛めつけた。
- Phrygian フリギア
古代に小アジア北西部にいた民族。前1000年頃から前700年頃までフリギア王国を立てた。
- Gaul ガリア(ゴール)
現在のフランスから北イタリアにかけてに住んでいたケルト系民族。名前の由来は彼らが雄鶏を旗印にしていたことから。北イタリア(ガリア・キスアルピナ)のガリア人は前三世紀末、フランス(ガリア・トランスアルピナ)のガリア人は前一世紀半ばにローマに征服された。カエサルのガリア戦記はフランスのガリア人征服を綴ったもの。
- Minoan ミノア
古代ギリシアの一民族。前3000年頃にクレタ島に文明を築いた。アジア系の民族といわれるが、詳しくはわからない。前1400年頃にアカイア人によって滅ぼされた。名前は、ミノタウロスの迷宮を築いたとされる王ミノスにちなむ。
- Mycenian ミケーネ
古代ギリシアの文明。ミケナイとも。前1600頃からギリシア本土にアカイア人によって築かれた。前1100年頃にドーリア人の侵入を受け崩壊した。
- Cimmerian キンメリア(シメール)
古代ギリシア人にとってアマゾンやミュルミドンなどと同じく世界の辺境に住むとされる半ば伝説的な民族。スキタイ以前に黒海沿岸にいた騎馬民族ともアフリカにいたとも実はヒッタイトのことだとも言われている。
- Ligurian リグリア(リグル)
古代、イタリアのリグリア州(ジェノヴァ付近)にいた民族。
- Numidian ヌミディア
紀元前に北アフリカに存在した民族及び彼らが建てた王国。現在のアルジェリアあたり。ポエニ戦争の際、ローマとカルタゴの間で揺れた。前46年にローマに滅ぼされた。カルタゴを構成した民族でもあって中にはカルタゴの政治的、軍事的に重要な地位につく者もいた。一部のベルベル人もこの民族に含まれる。
- Patzinal ペチェネグ*1
チュルク系の半遊牧民。8~9世紀にかけてキプチャク草原周辺で活躍した。
- Sarmatian サルマタイ
紀元前後にスキタイにとって変わって黒海北岸に居住した遊牧民。ダキア人と協力してローマと戦った。主力は鱗鎧を着た重装騎兵であり、彼らと戦ったことによってローマは重装騎兵を軍団に採用するようになった。
- Scythian スキタイ
ギリシア人から見た、ペルシアの北側の野蛮人の総称。一般に遊牧民といわれるが、農耕スキタイ人などの記述も伝えられており、漠然とした呼称であったらしい。遊牧民のスキタイはペルシア系、農耕スキタイ人はスラヴ系という説もある。
- Suren シュラン
パルティア王国の七大氏族の一つ。スーレーンとも。王に戴冠する権利を有していた。ローマのクラッススを敗死させたスレナスが有名。
- Assyrian アッシリア
古代オリエントの強国。前701年頃にオリエントを統一した。前722年にイスラエルを滅ぼしたことでも知られる。残酷無比なことで有名で、軍事偏重国家であったらしい。前625年から分裂し、前612年メディアとペルシアの連合軍に滅ぼされた。
- Harappan ハラッパー
インダス文明の都市遺跡。前2500年頃に建てられたもので、前2000年頃インドへのアーリア人の南下によって滅亡した。また一説には建築用の煉瓦を焼くために多量の森林を伐採してしまっため、環境が破壊され生活が成り立たなくなり滅亡していったとも言われている。
- Mauryan マウリア朝(モーリャン)
紀元前四世紀にインド北部に成立した王朝。中国では孔雀王朝という。前三世紀半ばのアショーカ王の時にインドをほぼ統一し、仏教を広めたが、その死後は衰え、前二世紀初め頃に滅亡した。
- Parthian パルティア
前250年頃にペルシア北西部に興った騎馬民族の王国。王朝名はアルサケス朝で、このため中国では安息国と呼んだ。セレウコス朝シリアの衰退に乗じて勢力を伸ばし、ペルシアを統一。ローマとも度々争った。紀元後226年にサーサーン朝ペルシアによって滅ぼされた。
- Nubian ヌビア
アフリカ、エジプトの南、ナイル上流域を指す地域名。またそこに興った国家。金が豊富に産出していたためにエジプトにとって大変重要な地域で、歴代ファラオはこの土地にこぞって要塞や殖民都市を建て、その周辺の住民にもエジプト化を推し進めていた。エチオピアとは地理的にも人種的にも異なるが時代によって混同される場合がある。
- Sarbadar
- Bactrian バクトリア
紀元前250年頃に西トルキスタンに興った王国。アレクサンドロス王の遠征で移り住んだギリシア人の王国であった。前139年頃に月氏の侵入でトルキスタンが混乱し、トカラ人によって滅ぼされた。
- Circassian サーカシアン
チェルケスとも。広義ではトルコ系民族全体、狭義では ロシア連邦南西部、黒海沿岸の住人を指す。
- Cuman クマン
十一世紀頃に黒海北岸に現れたアジア系遊牧民。トルコ系。ロシアではポロヴェツと呼ぶ。十三世紀、モンゴルに攻撃されて滅んだ。一部は婚姻関係を頼ってハンガリーに移住し、生き延びた。
- Hurrian フルリ
旧約聖書ではホリ人とも。紀元前16世紀頃から現在のアルメニアのヴァン湖一帯の山岳地帯にいた民族。シリアやメソポタミア北部に移住してミタンニを建国し、アッシリア帝国を脅かして一時は征服したとされる好戦的な民族。戦車が主な戦力だった。同じアナトリアにヒッタイトが勃興すると衰退して行き、最終的には紀元前14世紀に逆にアッシリアの一部となった。
- Kassite カッシュート
ヒッタイトから征服されたバビロニアを奪回し、ハンムラビ法典を遵守した。
- Bantu バントゥー
アフリカ中南部を中心に話される諸言語の総称。十九世紀にヨーロッパ人が呼び始めたもので、自称でも(ある意味)歴史的なものでもない。現在のカメルーン一帯を起源とし、農耕技術と製鉄技術の発展によって急激に人口が増加してアフリカ南部に拡大して行ったとされる。シャカ王の率いたズールー族もこの民族の一部族とされている。
- Khoisan コイサン
アフリカ南部の諸言語の総称。牧畜を行うコイコイ人(ホッテントット)と狩猟を主とするサン人から作られた造語。バントゥー諸族の拡大によって圧迫され現在はカラハリ砂漠一帯に存続している。一般的に黒色人種とされるが厳密に言うと他の黒色人種(バントゥー)と違い比較的赤みがかった肌をしていて体格も小柄。
- Libyan リビア
もともとは古代ギリシアにおいてアフリカやエジプトの隣国の国を指す。ローマ帝国の拡大や大航海時代などによってアフリカ大陸の地理が明らかになるにつれてそのつど「リビア」が意味する領域は変わってくる。古代エジプトでは海の民やヌビア人と共に傭兵として重宝され、中にはファラオに即位したリビア人さえいた。
- Shangian シェンゲン
ルクセンブルク大公国に116ある基礎自治体のひとつ。
- Yayoi 弥生人
日本列島の本州以南に前四~三世紀頃に現れた民族で、大陸から日本列島に鉄と農耕を持ち込んだ。弥生の名は、この文化に特徴的な弥生式土器が東京の弥生町で最初に発見されたことにちなむ。一般的に弥生人は縄文人を駆逐したように思われがちだが、実際には弥生人特有とされる支石墓に縄文人特有の抜歯が施された遺体が安置されている遺跡が多数発掘されており、後の渡来人と同じく体裁としては大多数の縄文人を基軸に少数の弥生人は進んだ文化とともに吸収され古代日本の基礎となった。
- Zhou 周
殷の次に興った中国の古代王朝。
- Ainu アイヌ
北海道を中心に、千島(クリル)列島、樺太(サハリン)にかけて分布した狩猟民族で、13世紀頃から独自の文化を築いた。縄文人や古代日本の蝦夷(エミシ)がアイヌになったとの説が有力。北海道に進出した日本人(和人)と交流するが、幾度かの衝突を経て次第に従属的な立場となり、19世紀以降の同化政策により日本に飲み込まれた。現在は北海道を中心に数万人が居住するが、文化は消滅の危機に瀕している。
- Polynesian ポリネシア
イースター島、ハワイ、ニュージーランドを頂点とする三角形に収まる太平洋の広域にわたって分布するオーストロネシア語族の海洋民族の総称。特に勢力を振るった集団ではハワイ、トンガ、パプワ、マオリ、サモワといったものがおり、どの集団も多少呼称や形状に変化はあるものの(モアイやタンガロア神など)同じ創造神を崇拝する。
- Aryan アーリア
広義にはインド=ヨーロッパ語族、狭義には特に紀元前2000年頃にインドに侵入しインダス文明を征服した諸民族のこと。インダス文明を征服してからは定住し、バラモン教を創始した。インドのカースト制における僧侶や軍人の階級は元々はアーリア人の階級で、征服された土着の民族は奴隷階級となった。
- Avar アヴァール
ヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民の一つ。567年にハンガリーに侵入してゲピデ王国を滅ぼし、ここを拠点に四方に侵略を重ねた。795年フランク王国のカール大帝の攻撃を受け、796年に滅亡した。
- Ghuzz グズ
ウズ、オグズとも。十世紀頃、ハザール汗国の東、カスピ海とアラル海の間あたりにいたトルコ系民族に対する、イスラム側からの呼び名。イスラム化したグズはトゥルクマーンと呼ばれた。
- Hsung-Nu 匈奴
紀元前、モンゴル高原にいた遊牧民。前三世紀末、冒頓単于のもとで最盛期を迎え、前漢を苦しめた。前54年東西に、後48年南北に分裂し弱体化。紀元一世紀末に鮮卑に追われ、南匈奴は漢に助けを求め、北匈奴は西へ逃げ去った。一説によれば北匈奴はフン族と関係があるとされ、西洋においてはよくフン族と混同される。
- Kushans クシャン朝
紀元後45年にトカラ人が西トルキスタンに起こした王朝。もとは大月氏の一諸侯であった。二世紀中葉のカニシカ王の時に最盛期を迎え、インドの北半分を征服したが、三世紀頃崩壊し、五世紀頃には消滅した。
- Yue-Chi 月氏
アジア系遊牧民。民族系統は不明。前二世紀頃甘粛地方にあったが、匈奴の攻撃を受け、西に逃亡した。逃亡せずに残ったものを小月氏、逃れたものを大月氏という。大月氏はイリに入ったが、のちに更に烏孫の攻撃を受けて西に逃れ、西トルキスタンに王国を築いた。西トルキスタンの月氏はトカラ人のクシャン朝に取って代わられ、滅亡した。
- Sakae サカ(塞)
中央アジアのスキタイと呼ばれた諸民族のうち、前二世紀にインドに南下した民族。インド・スキタイとも言う。まずイリに入ったが、匈奴に追われてイリに侵入した大月氏に追われてイリを逃れ、更に南下。紀元一世紀頃にガンダーラなどに王朝を建てた。一世紀にクシャン朝に従い、その衰退後はインダス下流域に王国を建てた。この王国は390年にグプタ朝に滅ぼされるまで続いた。
- Uzbek ウズベク
カスピ海の北のトルコ系民族。十三世紀頃現れ、ティムール帝国が衰弱した十五世紀頃に最盛期を迎えてペルシアに何度も侵入した。その後は西トルキスタンにボハラ、ヒヴァなどの小汗国を建て、19世紀に段階的にロシア領に組み入れられるまで西トルキスタンを支配した。
- Tartar タタール
モンゴル人の一部族。チンギス・ハーンが出たときにそのライバルとなったことで知られる。また、明代には北へ逃れた元の子孫がタタールと呼ばれた。ヨーロッパではロシアの東のトルコ系民族の総称。韃靼(ダッタン)、タルタルとも。
- Toltec トルテカ
アステカ帝国以前にアステカのやや北方のトゥーラ周辺にいた民族。アステカと同じくチチメク族の一部族で、9世紀からトゥーラを首都として栄え始めた。このころから芸術はテオティワカンの繊細で優美な様式のものからトルテカの力強いものへと変わり、町の構造もより防衛的なものに進化していった。現在のメキシコの大部分を征服しており、ユカタンにチチェン・イツァーを建て新たな首都とし、さらにはミシシッピー一帯の住民にまで宗教的、文化的影響を与えた。10世紀から地方勢力の独立が目立ち、チチメク族の侵入も再開して衰退し始め1160年頃にはトゥーラをチチメカ族に滅ぼされ12世紀にはチチェン・イツァーも放棄され滅亡した。
- Kushite クシテ
紀元前8~7世紀ヌビアの中のナパタのピアンキー王がエジプトを征服し立てた王朝。テーベを中心とする上エジプト一帯の地域を支配しており、当時文化的、宗教的に荒廃の進んでいたエジプトに過去の秩序と想像力を復活させまた新たな様式の芸術も開花させた。エジプトの貴族がアッシリアと組んだことで撃退され、それ以降クシテを初めとするヌビア人はエジプトの様式を捨て独自の文化に邁進した。
- Barbarian バーバリアン
蛮族という意味。もとはラテン語Barbarusで、これは「バルバルと意味のわからないことを喋る奴ら」という意味。北アフリカの原住民ベルベル人、理髪店を意味するバーバー、女性の名前のバーバラなどの単語はこれが起源とされている。