Last-modified: 2011-10-14 01:00:28
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- Alcuin アルクィン(735?-804)
イングランド出身の修道士、神学者。シャルルマーニュの命に応えラテン語と教育を整備し、カロリング・ルネッサンスの原動力となる。数学、天文学の教育者でもあった。
「ご覧なさい、我らのソロモンを、叡智の王冠の輝きを。彼の王の最も尊き資質を見倣い、徳を愛し、悪徳を遠ざけるのです」シャルルマーニュへの戒言
- Albertus Magnus アルベルトゥス・マグヌス(1193-1280)
ドイツの神学者、錬金術師。アリストテレスの著作を多数注釈し、神学哲学はもちろん錬金術を通じて自然科学の発展にも貢献した。ヒ素の発見者であり、またトマス・アクィナスの師でもある。*1
「体験のみが確証する」
- Carl Linnaeus カール・フォン・リンネ(1707-1778)
スウェーデンの生物学者、植物学者、博物学者。学名の体系を確立し、それまでに知られていた動植物を整理して分類表に載せた事で「分類学の父」となった。
「自然は飛躍して進まない」
- Leonhard Euler レオンハルト・オイラー(1707-1783)
スイスに生まれロシアで活躍した数学者。解析学、整数論、幾何学、物理学に貢献し、特に解析学に関しては未だにその功績が完全に解明されていない。18世紀最大の数学者の一人である。
「数学は目の科学である」
- Joseph Louis Lagrange ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736-1813)
イタリアに生まれフランスで活躍した数学者、天文学者。微分積分学を力学に組み込み、ラグランジュ力学を作り出した。数学にも功績を残している。
「なぜ私が残されたのかわからない」ラヴォアジエや教え子のマリー・アントワネットの処刑を嘆いて
- Pierre-Simon Laplace ピエール=シモン・ラプラス(1749-1827)
フランスの数学者。「ラプラスの悪魔」と呼ばれる決定論で知られる。『天体力学』『確率論の解析理論』といった名著を残し、数学界に多大な影響を与えた。
「陛下、わたくしはそのような仮説を必要としなかったのであります」「この本には神の事は書かれていないのか?」というナポレオンの問いへの返答
- Justus von Liebig ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803-1873)
ドイツの化学者。クロロホルムやアルデヒドを発見する等有機化学の確立に貢献し、また化学肥料を発明した事でも知られる。
「今のドイツの学者はフランスに学んだ。次のフランスの学者はドイツに学ぶであろう。両国民が常にこのように手をとりあうべきである」普仏戦争終結に寄せて
- Gregor Mendel グレゴール・メンデル(1822-1884)
オーストリアの司祭。修道院の庭を使ったエンドウ豆の交配実験から、いわゆるメンデルの法則を発見した。遺伝学の祖と言われている。
「見ていてごらん、きっと私の説の正しさが知られる時が来るよ」
- Robert Koch ロベルト・コッホ(1843-1910)
ドイツの医師、細菌学者。炭疽菌、結核菌、コレラ菌を発見し、また細菌学を研究する為の手法を確立した功績から「近代細菌学の開祖」と称えられている。コッホの法則の提唱者でもある。
「1、ある一定の病気には一定の微生物が見出されること 2、その微生物を分離できること 3、分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること 4、そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること」
- Konstantin Tsiolkovsky コンスタンティン・ツィオルコフスキー(1857-1935)
ソ連の科学者、教育者、作家。ロケット理論を構築しただけでなく、その後の宇宙開発に関わる様々な概念を生み出した「宇宙開発の父」である。実はホバークラフト開発にも寄与している。
「地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう」
- Alexander Fleming アレクサンダー・フレミング(1881-1965)
イギリスの細菌学者。偶然から抗菌物質リゾチームと抗生物質ペニシリンを発見し、近代医学に大きな変革をもたらした。細菌を絵具の代わりにして絵を描いたりもしていた。
「人々はペニシリンを一つの奇跡とよんだ。私も一生に一度だけ奇跡というその言葉に賛成する。それは多くの人命を救う奇跡である」
- John von Neumann ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)
ハンガリー生まれの数学者。数学、物理学、気象学、経済学、コンピュータ科学等々数多の分野に功績を打ち立て、後世に絶大な影響を与えた人類史上屈指の大天才である。
「これで、世界で2番目に計算が上手な奴が生まれた」ノイマン型コンピュータの開発に添えて
- Robert Oppenheimer ロバート・オッペンハイマー(1904-1967)
ユダヤ系のアメリカ人物理学者。理論物理学と原子爆弾の開発において多大な業績を上げるが、後者の結果は彼を一生に渡って苦しめる事になった。
「科学者は罪を知った」
- Alan Turing アラン・チューリング(1912-1954)
イギリスの数学者。チューリングマシン、つまり今日におけるコンピュータの提唱、エニグマの解読、チューリングテストの考案等の成果を上げる。
「ヒトの代わりに考える機械をつくることはできない」
計15人
- Jabir ibn Hayyan ジャービル・イブン=ハイヤーン(721?-815?)
アッバース朝下の哲学者、学者。イスラム科学の黄金期を始めた人物で、ありとあらゆる学問に精通していたが特に薬学、錬金術/化学における功績が大きい。例えば王水を発見したのは彼である。
「上なるものは下なるものより出で来らん、下なるものは上なるものより出で来らん、一者の奇蹟はかく作用す」『エメラルド・タブレット』
- Al-Farabi アル=ファーラービー(870-950)
同じくアッバース朝下の哲学者、学者。哲学をイスラームに組み込んだ学者で、アリストテレスに次ぐ「第二の師」と称えられた。自然科学、音楽、数学の分野でも活躍。
「我々が神に近づくとは、我々が現勢態における知性になり切ることによっての外に途はない」『理想国家論』
- Ibn Sina イブン=スィーナー(980-1037)
ペルシアの哲学者、医者、科学者。ペルシアを代表する知識人で、彼の『治癒の書』『医学典範』はイスラームのみならずキリスト教世界にも大きな影響を及ぼしている。
「動物性それ自体は普遍でも特殊でもない」『治癒の書』「倫理学」
- Omar Khayyam ウマル・ハイヤーム(1048-1131)
セルジューク朝時代のペルシャ人学者。ジャラーリー暦を作成し三次方程式の解法を考案する等、天文学、数学に業績を残した。更に『ルバイヤート』にまとめられた詩の評価も高い。
「生きてこの世の理を知りつくした魂なら、死してあの世の謎も解けたであろうか。今おのが身にいて何もわからないお前に、あした身をはなれて何がわかろうか?」『ルバイヤート』
- Ibn Rushd イブン=ルシュド(1126-1198)
コルドバ生まれのイスラム哲学者。西方イスラームを代表する学者で、先達同様様々な分野で功績を残したが、特にアリストテレスの注釈や医学百科事典の執筆で知られている。
「神は内角の総和が180度ではない三角形を作ることができるのだろうか」
- Zhu Xi 朱熹(1130-1200)
宗代の政治家、儒学者。いわゆる「四書」に注釈を施し、更に性即理に基づき朱子学を創立する。以後、彼の学問は中華大陸や日本に多大な影響を与える事となる。
「血の気の怒りはあるべからず、理義の怒りは無かるべからず」
- Srinivasa Ramanujan シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887-1920)
インドの数学者。恐るべき数学的直感の持ち主で、「インドの魔術師」の異名を持つ。その短い生涯の間に3254個もの数学公式を発見したと言われている。
「寝ている間に、ナマギーリ女神が教えてくれた」
- Jagadish Chandra Bose ジャガデッシュ・チャンドラ・ボース(1858-1937)
インドの物理学者、生物学者、SF作家。ニコラ・テスラと相前後して無線の発明に成功し、更に教育者としても活躍した「インド科学の父」である。
「ボースはインドの不明を剥ぎ取る中で神々の楽器となっていった」タゴールによる評
計8人
合計23人
追加したい方がいればここにどうぞ †
- Solomon ソロモン(BC1035?-925?)
古代エルサレム第三代君主。巧みな外交と行政組織の整備によってエルサレムを強国に育て上げた。知恵文学の著者を仮託された、旧約聖書を奉ずる世界における知恵の象徴でもある。
「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、このしもべに聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁く事が、誰にできましょう」列王記 5:8
- Zhang Zhongjing 張機(150-219?)
張仲景とも。後漢の官僚、医師。伝統中国医学をまとめ自身の経験を付け加えた『傷寒雑病論』を編纂し「医聖」と称えられる。漢方医学の祖とも目されている。
「私は、以前から医術を崇向してまいりましたので、孔子の言葉にありますように、学んで道理を理解し、博識をもって理解していきたいと思う者であります。」『傷寒論』序
- Ge Hong 葛洪(283-343)
西晋、東晋代の道教研究家、著述家。それまでの神仙道や煉丹術を体系化した『抱朴子』と、かつての仙人達をまとめた『神仙伝』を著し、道教、更にはアラビアや西洋の錬金術の先駆けとなった。
「臨兵闘者皆陣列前行」『抱朴子』「登渉篇」
- Tao Hongjing 陶弘景(456-536) ※英文記事無し。代わりにブリタニカを引用
六朝時代の道士、学者。仏教に傾倒しつつも茅山派を興し、『神農本草経』に注を付け漢方医学の骨子を築いた。「山中宰相」として政治にも関わり、書家としても名高い。
「特に松風を愛し、庭院は皆松を植ゑ、毎に其の響きを聞き、欣然として樂と爲す。有時は獨り泉石に遊び、望み見る者は以て是を仙人と爲した」『南史』陶弘景伝
- Jia Sixie 賈思キョウ(生没年不詳。6Cの人) ※ 記事が無いので『斉民要術』を記す
北魏の農学者。世界最古の農業書であり、料理書でもある『斉民要術』を編纂。古代における華北の農業、即ち経済に大きな影響を与えた。
「今、経伝に採探し、ここに歌謡に及び、これを老成に詢い、これを行事に験す」『斉民要術』序
- Saint Isidorus 聖イシドールス(560-636)
セビリア出身の知識人、聖職者。中世最大の百科事典『語源』を著した類稀な教養人であり、カトリックの布教と様々な学問の振興によって後世に決定的な影響を及ぼした。
「ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語という三つの神聖な言語があり、世界中のどの言語より輝く。ポンティウス・ピラトゥスが聖なる十字架に刻まれるよう命令したのは、これら三つの言語であった」 『語源』*2
- Saint Photios 聖フォティオス(820-897)
東ローマ帝国の知識人、聖職者。東ローマ帝国においてギリシア古典の復興運動を始める事で「マケドニア朝ルネサンス」の火付け役となる。キュリロス、メトディオス兄弟の後援者でもある。
「使徒信条の信奉者にして人類の教師よ、執り成したまえ、おお、フォティオスよ、万物の主へと。世界に平和をもたらされるように、我らの魂に大いなる哀れみを賜るように」
- Hunayn ibn Ishaq フナイン・イブン・イスハーク(808?-873?)
アッシリア出身のネストリウス派キリスト教徒、医者、翻訳者。アッバース朝が誇る「知恵の館」を代表する知識人で、医学書や哲学書の翻訳を進め医学の発展に大いに寄与した。
「私の信仰と職務、その二つが故です。私の信仰は友人に対する以上に、敵に対してさえ善を行えと命じています。また私の職務は人類を利するために存在し、救済と治癒にその役割を限られていますから。付け加えれば、凡ゆる医者は誰に対しても毒薬を処方する事はないという宣誓に従ってもいます」イブン=アリーブリの書より、何故異教徒であるムスリムに毒薬を処方しないのか、というカリフの問いに対して
- Abu Rayhan Biruni アル=ビールーニー(973-1048)
ホラズム朝下の知識人、旅行家。天文学、薬学、鉱物学等極めて広範な分野において活動した学者であり、また自らの見聞を元にインドやゾロアスター教に関する深い省察を遺した。
「インド人たちには、古代のギリシア人たちのように、羊皮紙の上にものを書く習慣がない。ソクラテスはどうして本を書くことをしないのかと尋ねられて、「わたしは知識を生きた人間の心臓から死んだ動物の皮に移したりはしない」と答えた」
- Frederick II フェデリコⅡ世(1194-1250)
「世界の驚異」と謳われた神聖ローマ皇帝。武力を用いず交渉でエルサレムを確保した唯一の皇帝であり、自身も鷹狩りに関する本を著すなど優れた学者でもあった。
「私はムスリムとその尊ぶべき神の祈りの声が聞こえる事を期待して、エルサレムで一日を過ごしたのだ」
- Nasir al-Din al-Tusi ナスィールッディーン・トゥースィー(1201-1274)
ホラズム朝下の哲学者、神学者、知識人。数学、化学、生物学などに精通するが、特に天文学における活躍が目覚ましく、最も洗練された天動説を唱えた人物と見做されている。
「…これらの事象は、人が未だ進化の階梯の途上にある事を証明するものである。先天的に自然からもたらされたものに従うならば、人は劣位の存在となるまでである。ただ己の精神(即ち、観察と知識)に従う事によってのみ、人はより高い階梯に至る事が出来るのだ」
- Jeong In-ji 鄭麟趾(1396-1478) ※ 日本語記事無し。代わりに「訓民正音」を記載
李氏朝鮮の学者、官僚。ハングルとその解説書である『訓民正音』の成立において中心的な役割を担う。また『高麗史』の編纂者としても知られる。
「我が殿下正音二十八字を創制し、略々例義を掲げて以て之を示し、名づけて訓民正音と曰ふ。…是を以て書を解さば、以て其の義を知るべし。是を以て訟を聴かば、以て其の情を得べし。字韻は則ち清濁之を能く辨じ、楽歌は則ち律呂之れ克く諧ふ。用ゐて備はざる所無く、往きて達せざる所無し。風声、鶴唳、鶏鳴、狗吠と雖も、皆得て書かくべからん」『訓民正音』後序
- Paracelsus パラケルスス(1493?-1541)
スイスの医者、錬金術師。錬金術によって不老長寿薬を作らんとした、言い換えれば医学に化学を組み込まんとしたイアトロ化学の創始者。また流浪の人でもあり様々な伝説が残っている。
「何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できないものは生きている価値がない。だが、理解できる者は愛し、気づき、見る」
- Li Shizhen 李時珍(1518-1593)
明の医師で本草学者(薬学者)。当代一流の医者であると同時に、中国本草学史上最大の薬学著作『本草綱目』を著した。彼の著作は周辺諸国のみならずヨーロッパにも影響を与えている。
「医書としてのみ見なしていいものではない。まことに性理の精微であり、事物を追求する上での大典であり、帝王の大切な書物であり、人民の大切な宝である」『本草綱目』序
- Xu Guangqi 徐光啓(1562-1633)
明代末期の暦数学者。『幾何原本』『崇禎暦書』『農業全書』等を著すなど、西洋学問の輸入に多大な役割を果たした。またそのきっかけがキリスト教への入信であった事でも知られる。
「これは郭守敬の暦法による誤りである。元の時代にすでに、日蝕があるべき時に日蝕にならなかったことがあった。今日、天文台の観測が誤っても怪しむに足らない。暦法を修正しなければならないのである」
- Heo Jun 許浚(1593-1615)
李氏朝鮮の医者、漢方学者。庶子の身分から王の御医にまで登り詰めた人物であり、『東医宝鑑』の著者。この著作は東アジア全般において漢方の古典と見做されている
「忠孝義慈行方便 須不求我自然真 天涯海角人求我 行到角涯不見人」『忠孝義慈』より
- Sequoyah シクウォイア(1767?-1843)
チェロキー族の銀細工師。元々一切の文字が読めなかったにも関わらず、独力でチェロキー文字を創造した人物である。彼が作り上げた文字は瞬く間に広まり、数年後には新聞が刊行されるに至った。
「シクウォイアは常に荒地にいた。彼はあちこちを歩いた。しかし彼は狩人ではなかった。私は、彼が何を探していたのだろうかと不思議に思う」ジャック・キルパトリック
- Ernst Mach エルンスト・マッハ(1838-1916)
世紀末ウィーンを代表する物理学者。独特の認識論は心理学や現象学に影響を及ぼし、相対性理論の土台にもなった。衝撃波の観測でも知られる。
「マッハが若いうちに光速度不変の法則が発見されていたら私より先に相対性理論に到達したであろう」アインシュタインによる評価
- L.L.Zamenhof ルドヴィコ・ザメンホフ(1859-1917)
ポーランドの眼科医、言語学者。異なる文化や民族が共存する為に、国際補助語としてエスぺラントを開発。なおその基礎的な骨組みは二十代に至る前に組み上がっていたという。
「諸民族の憎しみよ 倒れろ、倒れろ、時は来た! (始めよう!) 全人類は家族に 一つにならなければならない」1878年、プラ-エスペラントで記された詩
- Fritz Haber フリッツ・ハーバー(1868-1934)
ドイツの物理学者、電気化学者。大気からアンモニアを精製するハーバー・ボッシュ法を確立し、「水と石炭と空気とからパンを作る方法」を編み出す。だがこの技術は、爆薬や毒ガスの大量生産にも繋がってしまう。
「祖国ドイツのためならば、私は敢えて地獄にも堕ちよう」
- Lise Meitner リーゼ・マイトナー(1878-1968)
オーストリア出身の物理学者。オージェ効果を発見し核分裂の原理を確立する等、主に原子物理学や放射線化学に貢献。「原爆の母」とも称される*3。
「私は爆弾などに関わるつもりはありません!」 マンハッタン計画への返答
- name? 名前?(生没年)
寸評。
「逸話、名言、後世の評価、史書の記述等々」