Last-modified: 2011-10-14 01:06:04
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- Croesus クロイソス(BC595-BC547)
リュディア王国最後の王。世界で始めて公認通貨体系と貨幣制度を設立し、溢れんばかりの財を積み上げた。今日のヨーロッパにおいても彼の名前は「金持ち」という意味を持ち続けている。
「平和であれば子が親を埋葬するが、戦争になれば親が子を埋葬することになる」
- Zi Gong 子貢(BC520-?) ※ 英語版記事無し、代わりに中国語記事を記す
春秋戦国時代の思想家、行政官。孔門十哲の一人であると同時に有能な宰相であり、更に貨殖列伝に載る程の商才があったとされる。
「人は誰でも皆天が高いことを知っておりますが、では天の高さはどのようなものか、と聞かれたら皆知らないと答えるでしょう。わたしは仲尼の賢さを知っておりますが、その賢さがどのようなものであるのかは知らないのです」
- Fan Li 范蠡(生没年不詳。BC4C頃)
春秋戦国時代の行政官、商人。「歴史」とされているのは越王勾践の側近范蠡としての活躍のみだが、後世の商人にとっては陶朱公という伝説として親しまれている。なお越より奔った後は西施と幸せに暮らしたとも。
「能識人 能接納 能安業 能整頓 能敏捷 能討脹 能用人 能弁論 能弁質 能知機 能偶率 能達数」「理財致富十二則」
「一、能く人を識る 二、能く接し納める 三、能く業を安んじる 四、能く整頓する 五、能く敏捷に 六、能く脹を討ち 七、能く人を用いる 八、能く論を弁える 九、能く質を弁える 十、能く機を知る 十一、能く偶を率い 十二、能く数を達す」
- Sang Hongyang 桑弘羊(BC152-BC80)
前漢の政治家、財政家。武帝の配下として辣腕を振るい、均輸法・平準法の施行と塩・鉄・酒の専売によって武帝の放埒を支えた。なお批判者との討論を書き残した『塩鉄論』は第一級の史料とされている。
「天地の利、贍らざるなく、山海の貨、富まざるなりきなり、然れども百姓匱乏し、財用足らざるは、多寡をば調へず、天下の財をば、散ぜざればなり」『塩鉄論』
- Jang Bogo 張保皐(790?-846?)
新羅の将軍、行政官。軍人としても活躍する傍ら、清海鎮の大使として商業活動に従事。日本や唐、更に彼の地に留まるイスラーム商人とも交易し、更に陶磁器技術を朝鮮に輸入した事でも名高い。
「どうして東方の蛮国に優れた人物がいないということがあろうか」『新唐書』の編纂者、宋祁の評
- Infante Dom Henrique エンリケ航海王子(1394-1460)
ポルトガルの王族。宗教的情熱と経済的利害を満たす為に探検家達を強力に後支えし、ヨーロッパによる海外進出/征服の端緒となった。*1
「ここに地終わり、海始まる」『ウズ・ルジアダス』より、大西洋を臨むロカ岬に刻まれた詩文
- Anikey Stroganov アニケイ・ストロガノフ(1488-1570) ※ 日本語記事は無し。代わりにストロガノフ家の項を記す
ロシアの商人、荘園経営者。製塩によって財を成し、雷帝によって荘園を下賜されてからは毛皮等を求めてウラル、シベリアへの植民に着手する。彼の子孫は後のシベリア征服で大きな役割を果たす事となる。
「ロシア皇帝自身がいわば大毛皮商人といっても差し支えなかった。16世紀末には毛皮からの収入が全国家収入の3分の1に及んでいた。まさにロシア帝国の財政は、シベリアからとどけられる“柔らかな黄金”にかかっていたのである」西村三郎『毛皮と人間の歴史』
- Zhang Juzheng 張居正(1525-1582)
明の政治家で、万暦帝下における宰相。全国的な丈量を行い一条鞭法を敷く等行政を簡素にする事によって明の財政を一挙に好転させる。しかし死後は彼の成果も名誉も…
「国家をもって己が任となす」
- Johan van Oldenbarnevelt ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト(1547-1619) ※ 日本語記事は無し。代わりにオランダ東インド会社の項を記す
オランダの法律家、政治家。世界初の株式会社オランダ東インド会社を発足し、諸外国に対抗せんとした。本国でもオランダ独立に寄与し、更に議会派としてマウリッツと争うが敵わず刑死している。
「わたくしは祖国を愛してこの生涯を生き抜き、祖国を愛してここに死ぬ」
- Jean-Baptiste Colbert ジャン・バティスト・コルベール(1619-1683)
フランスの重商主義者で、財務総監。重商主義思想に基づき東西インド会社・レバント会社・セネガル会社を設立、更にケベックにも大規模な植民団を送った。
「金の成る木を育てよう」
計10人
- Shen Wansan 沈万三(1459-1525) ※ 日本語記事も中国語記事も無し。代わりに中国語記事と彼に関する著作を紹介
元末から明に至る頃の商人。初めは張士誠を、次いで朱元璋を支援し、遂には南京城造営にかかる費用の三分の一を賄える程の財を成した。が、その出資のせいで朱元璋に厭われ追放の憂き目に合う。*2
「その富は国の財に匹敵する」
- Jakob Fugger ヤコブ・フッガー(1459-1525) ※ 日本語記事は無し。代わりにフッガー家の項を記す
ドイツの商家、銀行業者。金銀鉱山の経営と金融業によって莫大な富を集め、当時のヨーロッパ各国への出資者として大いに権勢を振るった。ちなみにフッガー家は今も貴族として存続している。
「贖宥状を買えばキリストの母マリアを犯しても許されるのだ」ある贖宥状より
- Edward Lloyd エドワード・ロイド(?-1713) ※ 日本語記事は無し。代わりにロイズの項を記す
イギリスのコーヒーハウス経営者。店内に屯する保険業者や海運業者、貿易商の為に最新の海外情報を集めこれを公開した事で、彼の店は大いに繁盛したという。現在も「ロイズ」としてその名が残っている。
「ロイズの始まりは一杯のコーヒーだった」ロイド船舶協会社史
- Nathan Rothschild ネイサン・ロスチャイルド(1777-1836)
ドイツに生まれイギリスで活躍した銀行家。イギリスにおけるロスチャイルド財閥の祖であり、ロンドン金融の大立者。「ネイサンの逆売り」と呼ばれるえげつないやり方で市場に出回る債券の62%を掴んだ人でもある。
「街のあちこちで通りが血に染まっているときこそ、買いの絶好のチャンスだ」
- Arthur Guinness アーサー・ギネス(1725-1803) ※ 日本語記事は無し。代わりにギネスの項を記す
アイルランドの醸造家。ギネスビールの創始者で、一代でギネスをエールの代表格まで押し上げた。重税のかかる麦芽の使用を抑え未発芽の大麦を使った事でコストを抑えた、という逸話も伝わっている。
「ギネスほど私の力をよみがえらせるのに役立ったものは他にない」ワーテルローに従軍した『あるイギリス負傷兵』
- Richard Arkwright リチャード・アークライト(1732-1792)
イギリスの発明家、実業家。水力紡績機とそれを使う場所である「工場」を生み出し、巨万の富を得ると同時に大量生産への道を造り上げた。
「近代的工場を創設したのはアークライトである。彼のなかに、技師や商人とちがう大産業家の新しい型が具現している」ポール・マントゥの評
- Alfred Krupp アルフレート・クルップ(1812-1887) ※ 英語記事は無し。代わりに独語記事を記す
ドイツの企業家。レール、車輪、そして大砲といった鋼鉄製品をプロイセンに大量に供給する事でクルップ社を一大企業に育て上げた。ビスマルクの盟友でもある。
「新しい未来が私たちの前に開けている。今や私たちは、鋼鉄の時代に生きているのだ」
- Robert W.Woodruff ロバート・ウッドラフ(1889-1985)※ 日本語記事は無し。代わりにコカ・コーラの記事を記す
アメリカの実業家。父親が創立した現在の「コカコーラ・カンパニー」を引き継ぎ、二次大戦での軍需をきっかけに「コカ・コーラ」を資本主義の象徴に仕立て上げた。
「我々は、軍服を着けた全ての兵士が何処で戦っていようとも、またわが社にどれだけの負担がかかろうと、5セントの瓶詰めコカ・コーラを買えるようにする」
- Ray Kroc レイ・クロック(1902-1984)
アメリカの実業家。企業としての「マクドナルド」を創設し、これを世界最大のファーストフード・チェーンにまで成長させた人物である。最終的にはパドレスの買収がちょっとした贅沢になる程度の収益を確保した。
「未熟なうちは成長する。成熟すれば、あとは衰えるだけだ」
計9人
- Gan Ying 甘英(生没年不詳。1世紀頃)
後漢の軍事大使。斑超の命によってローマ帝国との国交を開く為の使者となる。結局ローマ帝国へはたどり着けなかったもののパルティアに至り、古代において西の果てを見極める役目を果たした。
「様々な、驚嘆すべきまた類稀な外国の物品はすべて、この国から齎されるのである」『後漢書』
- Erik the Red 赤毛のエイリーク(950-1003)
ノルウェー出身の商人、開拓者。追放された先のアイスランドで一財を築き、またヨーロッパ人として始めてグリーンランドに入植した人物である。レイフ・エリクソンの父親でもある。
「景気のいい名前を付けときゃ、バカも集まるってもんだ」『赤毛のエイリークのサガ』
- Samuel de Champlain サミュエル・ド・シャンプラン(1567?-1635)
フランスの探検家、地理学者、地図制作者。フランス王アンリ4世の命に従い、ケベック植民地の基礎を確立。「ヌーヴェル・フランス」、即ち今日におけるカナダの父となった。
「我はここに正しく用いられるべき神の恵みを配するだろう」ケベック市の標語
- Friedrich Hayek フリードリヒ・ハイエク(1899-1992)
オーストリア出身の経済学者であり、哲学者。合理主義への疑念から計画経済や集産主義を批判し、リバタリアニズムの代表的人物となる。新自由主義は彼の思想を中心に組み上げられたものである。
「地獄への道は善意で舗装されている」
計4人
合計23人
追加したい方がいればここにどうぞ †
- name? 名前?(生没年)
寸評。
「逸話、名言、後世の評価、史書の記述等々」
- Philon フィロン(BC260-180)
古代ギリシャの旅行家、数学者、技術者。地中海沿岸を旅行して『世界の七つの景観』を著し、いわゆる「世界の七不思議」を提案した。水車やジンバルを設計した技術者でもある。
「私は、バビロンの城壁と空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨像、大ピラミッドの偉業、そしてマウソロスの霊廟までも見た。しかし、雲にそびえるエフェソスのアルテミス神殿を見たとき、ほかの不思議はすべて陰ってしまった」『世界の七つの景観』
- Odaenathus セプティミウス・オダエナトゥス(?-267)
パルミラの執政官。自らの私兵でガリエヌスを支える事でその信頼を勝ち取り、東方属州の経営を一任される。以後は混乱するローマの代わりに東方の防衛と交易を一手に引き受けた。
「…しかも砂漠の真ん中に孤立しているために、ローマの軍団もパルティアの騎兵隊も容易に近づくことができず、アラブ人の政治家たちは、二大対抗者の間にある戦略的位置を抜け目なく利用して勢力均衡を保ち、中立を守ることによって利益を得た。彼らは両者を敵対させることによって、緩衝国として自分たちの都市の独立を保持したのである」P.K.ヒッティ『シリア 東西文明の十字路』
- Pu Shougeng 蒲寿庚(生没年不詳。13C頃の人) ※ 英文記事無し。代わりに中文記事を掲載
南宗末期から元初期にかけて活躍した式目人官僚。貿易商人としての才を評価され福建水軍の司令官となるが、元に寝返る。以後は元の官僚として泉州を中原最大の貿易港へと育て上げた。
「蒲壽庚擧提泉州舶司。擅蕃舶利者三十年」『宋史』瀛國公本紀
- Askia Mohammad アスキア・ムハンマド(1442-1538) ※日本語記事無し。代わりに「ソンガイ帝国」を掲載
アスキア帝国皇帝。官僚制を制定し、更に度量衡を統一する事でトンブクトゥの全盛期を演出した。イスラムへの傾倒でも知られる*3。
「トンブトの富める王は、金で出来た杯や笏を数多く持ち、その重量は1,300ポンドにもなる(中略)また常時3,000人の騎手を揃え、(中略)さらに多くの医者や裁判官、司祭、学者がおり、彼らは王の財によって手厚く養われている」 レオ・アフリカヌス
- Amerigo Vespucci アメリゴ・ヴェスプッチ(1454-1512)
イタリアの探検家、商人。四度に渡る探検によって、コロンブスの発見した陸地が「東インド」ではなく「新大陸」である事を示した人物。「アメリカ」という名の由来でもある。
「アメリゴがアメリカ人を保有し、そして同時に名づけた。それ以来、いついかなるときにもアメリカ人は呼び覚まされる」
- Wang Zhi 王直(?-1559)
明代の貿易商人であり、後期和寇の頭目。敵対勢力を滅ぼして東シナ海を事実上支配し、日本や東南アジアとの密貿易を一手に握った。ちなみに日本人ではない。
「平戸に王直と申す人まかりつき、今の印山屋敷に唐様の屋形を建て居を申しければ、大唐の商船絶えず、剰え南蛮の黒船とて始めて平戸にまかり着きければ、唐南蛮の珍物年々満々と参り候間、京堺の商人、諸国の者集まり西の都とぞ申しける」『大曲記』
- Thomas Gresham トーマス・グレシャム(1519-1579)
イギリスの財政家、貿易商。↓の言葉で知られる「グレシャムの法則」を自身の体験から示した人物である。イギリス王室の海外負債をほぼ清算したやり手の金融人でもある。
「悪貨は良貨を駆逐する」
- John Smith ジョン・スミス(1580-1631)
イギリスの軍人、船乗り、著作家。北米大陸における最初の恒久植民地となるジェームズタウンの建設者であり、またその著作で多くの開拓者をアメリカに呼び込んだ人物でもある。
「働かざるもの食うべからず」
- Evliya Celebi エヴリヤ・チェレビ(1611-1682)
オスマントルコの旅行家。始めはコンスタンティニエを、その後中東、エジプト、ロシア、オーストリア、バルカン半島といったオスマン帝国の影響下にある地域を旅行し、克明な記録を残した。
「オスマン帝国の兵士は主にギリシア人によって構成され、ムスリムに使役されていた。一方、トルコ語は滅多に話される事が無かった。彼はそこを居城とする兵士達について明白な記述を残している。六千人の住民が住むセレスでは、ギリシャ語、ブルガリア後、セルビア語、アルメニア語、スペイン訛りのユダヤ語が話されていた。先に述べたように、住民の大多数がムスリムであったにも関わらず、トルコ語は少数者の言語であった」 『旅行記』
- David Ricardo デヴィッド・リカード(1772-1823)
イギリスの経済学者。「比較生産費説」を唱えて自由貿易を擁護した古典派経済学の泰斗。なお自身も実業家として成功している。
「資本は生産に費やされる一国の富の一部であり、食糧・衣服・道具・原料資材・機械などにより成り、それは労働に効果を与えねばならない」 『経済学原理』
- Jamsetji Tata ジャムジェトジ・タタ(1839-1904) ※ 日本語記事無し。代わりに「タタ・グループ」を掲載
インドの企業家。後にインド最大の財閥となるタタ・グループを創始し、「インド工業化の父」として称えられている。インド科学研究所の設立に関わる等慈善活動にも積極的であった。
「我が国の物質的技術の分野で、あなたはどんな貢献ができますか? …あなたは国内に物質科学を興さねばならないでしょう」 ヴィヴェーカーナンダ
- Johann_II リヒテンシュタイン公ヨーハン二世(1840-1929)
リヒテンシュタイン大公。普墺戦争や第一次大戦といった国難を乗り越えただけでなく、困窮する国民を自らのポケットマネーで支えた「善良侯」。現政庁であるファドゥーツ城を改修させた人物でもある。
「国家の財政状況は可能な限り改善されなければならないし、公共の需要を満たす為には新しい歳入の源を開拓する努力をせねばならない」リヒテンシュタイン憲法第24条第2項
- Jacob Schiff ジェイコブ・シフ(1847-1920)
ドイツに生まれたアメリカの銀行家。西半球有数の国際銀行であったクーン・ローブの頭取として、鉄道建設等数多くの事業に投資。また日露戦争においては日本に多大な出資を投下している。
「わが政府は、シフがしたことをけっして許しも忘れもしない。彼ひとりがアメリカ市場における日本の資金獲得を可能にした。海外でわれわれに敵対するもっとも危険な人物である」 ロシア大蔵大臣ココフツォフ
- William C.Durant ウィリアム・C・デュラント(1861-1947)
アメリカの企業家。舗装された道路すらなかった時代において自動車販売術を切り開き、ゼネラル・モーターズの創始者となる。ウォール街の相場師としても名を馳せていた。
「金とはなにか?それは一時的に人間に貸しだされただけのものだ。生まれてくるときにはまったく持っていないし死ぬときも持っていけない」
- Louis II モナコ大公ルイ二世(1870-1949)
モナコ大公。ASモナコを創設しモナコグランプリを開催させるなど、観光立国モナコの礎を作った。レギオン・ド・ヌール勲章に叙された勇猛な軍人でもある。
「モナコを見てから死ね」あるF1ファンの言葉
- Enzo Ferrari エンツォ・フェラーリ(1898-1988)
イタリアの企業家。その強烈なカリスマと巧みな人心掌握によって、自身の創始したフェラーリを高級車製造会社の代名詞にまで押し上げた。イタリアでは「北の教皇」とまで呼ばれたという。
「レーシングマシンとは、強力なエンジンを造り、4つの車輪をつけたもの」
- Armand Hammer アーマンド・ハマー(1898-1990)
アメリカの起業家、美術品収集家。成立したばかりのソ連でレーニンの個人的な信頼を勝ち取り、東側諸国との貿易を一手に握り多大な富を築いた「赤い資産家」。
「たった一人の人間でも、覚悟を決めれば状況を変えることが出来る」
- Aristotle Onassis アリストテレス・オナシス(1906-1975)
ギリシャの実業家。始めはアルゼンチンを、次いで母国のギリシアを拠点とし、無一文から「20世紀最大の海運王」にまで登り詰めた。終始俗物であった事でも名高い。
「世界は自由だ。私は好きなことをやる」
- Steve Jobs スティーブ・ジョブズ(1955-2011)
アメリカの実業家。ウォズらと共に一般向けのパソコンとその業界を創造した人物であり、そのカリスマと感性で己が信念の如くに世界を変えてみせた。
「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか」